関東の伝統和雑貨

関東の伝統和雑貨

江戸ではいろいろな文化が花開いた江戸ではいろいろな文化が花開いた

和雑貨という文化は、江戸時代に江戸で花開いたといわれています。実質的に力を持った町人たちが、普段の生活を豊かに便利にするために生み出した日用品や工芸品が起源となっています。
また関西の古い文化と異なり、当時は江戸幕府から倹約令が町民にくだっていたため、江戸の文化は過度な装飾性を排除したデザインが主流です。そのデザインは粋で渋いため時代の波にも負けずに現代も生き残りました。
さて、その江戸時代の和雑貨ですが、その本拠地である江戸があった関東には今もどれだけの文化が生き残っているのでしょうか? 今回は現代においても産業として生き残っている江戸の伝統和雑貨を特集したいと思います。

関東には山のように伝統和雑貨の文化が残っている

文化の中心地だった江戸の存在した関東です。東京の下町を中心に、今でもたくさんの伝統和雑貨が生き残っています。例えば、

  • 江戸切子
  • 割りばし
  • ホウロウ製品
  • 江戸扇子
  • お香
  • 文道具
  • のし紙
  • 千代紙
  • 梨園染手ぬぐい
  • 刃物
  • 江戸風鈴
  • つづら
  • 竹かご
  • 江戸ぼうき

など、挙げれば切りがありません。東京だけでなく例えば埼玉にも、

  • 藍染め

のような伝統文化が生き残っています。そうした文化や商品は平成の現代でも、単なる保存対象ではなく、商業ベースに乗っかって立派な経済商品としても発展しています。非常に優れた製品の数々なので、江戸周辺の代表的な伝統和雑貨を詳しく取り上げたいと思います。

庶民のガラス彫刻、江戸切子

東京には今でも和雑貨の取扱店がたくさん東京には今でも和雑貨の取扱店がたくさん

江戸切子という言葉をご存じの方は多いと思いますが、実際はどういった背景を持っているのか理解している人は、少ないはずです。江戸切子とはそもそも庶民による庶民のためのガラス彫刻を意味し、彫刻技術を生かしたグラスや器などが盛んに作られてきました。 江戸切子が誕生した時期は江戸後期といわれています。もともとは無色透明なガラス彫刻にとどまっていましたが、薩摩藩(鹿児島)に存在した色ガラスを被せる技術が江戸に伝わり、江戸で発展した形になります。
カットが深くて鋭く、素手で触るとガラスの鋭角さがダイレクトに伝わってくる魅力があります。

シンプルな美しさを象徴する江戸扇子

江戸は京都と同じく扇子でも有名江戸は京都と同じく扇子でも有名

意外かもしれませんが、扇子は中国から伝わってきた文化ではなく、日本オリジナルの和雑貨です。もともとは京都で使われ始めたといわれていますが、その文化はその後の日本にずっと生き残り、江戸時代には江戸でも盛んに作られました。
冒頭でも紹介しましたが、江戸の文化が江戸で盛んになったころは幕府が庶民に対して倹約令を出していたので、江戸扇子も無駄な装飾を排除したシンプルなデザインになっています。その点が京都の京扇子と異なる特徴であり、江戸の誇りでもあります。

農家の副業として始まった埼玉の藍染め

浅草は関東の中でも和雑貨の集めやすい場所浅草は関東の中でも和雑貨の集めやすい場所

現在の東京都西部から埼玉県に掛けて武州と呼ばれる一帯が広がっていました。そのエリアに住む農民たちが副業で始めた綿織物が武州藍染めです。
さすがに現代は規模が落ちてきましたが、現在でもその伝統を頑なに守る職人やお店が存在します。中には世界的な評価を受ける職人なども存在し、藍染めの専門家として学問の世界に協力を要請されるほどの人材もいます。
藍色はジャパンブルーとも呼ばれる色で、そのジャパンブルーを最も楽しめる和雑貨が藍染めだと考えられています。

関東和雑貨ツアーに出掛けてみる

扇子、竹かご、ほうき、つづら、風鈴など江戸は和雑貨がいっぱい扇子、竹かご、ほうき、つづら、風鈴など江戸は和雑貨がいっぱい

関東に住んでいる方からすれば、身の回りに和雑貨の生産地が山のように存在します。浅草や日本橋には素敵な和雑貨がたくさん手に入る場所がありますし、一歩足を伸ばして埼玉や神奈川に出掛ければ、別の伝統文化が今も生き残っています。
休みの日はちょっとした和雑貨ツアーに出掛けてみると、見慣れた景色もまた新鮮に映るかもしれません。いつもより少し多めのお金を財布に入れて、足を伸ばしてみてください。